HOME >家をつくる > 大工さんはいらない現代の家づくり

大工さんはいらない現代の家づくり   やっと出会えた本物の家より

工さんは要らない?現代の家づくり

大工さんなしで家が建つ?技術のない「だいく」をもじって「だいはち」などと言われる人が現場で家をつくっている、というよりは組みたてている。工期短縮、合理化、コストパォーマンス、何と表現しようが、目的はいかに手のかからない住まいをつくるかということ、に他ならない。

人の手でつくるものはピンからキリまで。確かにピンならいいけどキリの住まいでは困る。

ピンにはほど遠いけれどキリにはならないという目的で、品質の安定化、均一性が計られるようになった。現場で人の手でつくるものはできるだけ排除して、工場で生産という方向になる。しかも現場で誰が携わってもいいようにと、プラモデルのごとくマニュアルにのっとって組みたてられるようにした。だから大工は要らない。「だいはち」か「だいなな」でいい。

 

現場で職人の技術が生かせなくなってくれば家づくりは間違いなく衰退する。大工に限らず左官職人なども仕事が減ってくれば腕が落ちていく。だんだん大工が高齢となり、後を継ぐ若い職人が少なくなってきているという事実も領ける。

技術を要する家づくりが少なくなり、下請け的に職人としては望まない仕事もせざるを得なくなると、よほど意識が高くないと堕落する。楽な仕事に手が馴れてしまい、なかなか昔のような仕事に戻れなくなってしまうと聞く。それでも、納得のいく仕事にぶつかると水を得た魚のごとく張り切ってくれる大工さんもまだまだいる。
大工の腕がいるPAC住宅

考えて見れば、衣も食も住もすべて、つくるから買うへと移行している。いま時、日常的に洋服をつくったり、セーターを手編みする人はほとんど皆無ではなかろうか。それこそ生地や毛糸を買う値段で、できあいの洋服やセーターが買えてしまう。手間と時間とコストと、どれをとっても合わない。いまや着る物をつくるという人は趣味ないし職業で、ということくらいのものかもしれない。

しかし、こと食については、健康との関わりから見てかなり問題が深刻となってくる。

街を歩いていても、家庭料理と銘打った店がいくつも目に映る。昔は母親の手のぬくもりがイメージされたお惣菜、これも今は、和・洋・中なんでもござれと売られている。

外で家庭料理を食べる、あるいはできあいのお惣菜を買ってきて食卓に並べる、これだけはいくら忙しくても習慣化してほしくない、特に若い世代に当たり前のことと思ってほしくはない。

何故なら、あまりにも合理性ばかりが追求され、人の健康が無視されてしまっているから。

少なくとも料理は素材選びから入ってほしい。味付けに何が使われているかわからない、色や香りが自然のものなのかわからない、真空パックなどの工夫がなされていないのに、何故か鮮度がおちない、妙に保存性が良い……要注意。

手間もひまもお金もかけなくたって安全で美味しくって自然な食材・素材を生かした簡単料理ができるのだから。そして季節もの、旬のものなら、栄養面でも優れているし、身体のバイオリズムにだって合っているはず。

手づくりの愛情あふれる食事

何故なら、人も食物も同じ自然の摂理の中で呼吸しているのだから。

何でも買ってきて事足りる世の中、食については知恵を使えば手間・ひま・金をかけずに健康を取り戻せそうだ。一日少なくても二回ないし三回食べるというこの行為、毎日毎日、気持ち良く身体が動かせるか、頭がシャープでいられるかを握る鍵でもある。是非食べることの大切さに気づいてほしい。

そして一日の時間の中のちょっとだけ今より、つくるとか食べるとかに目を向けてほしい。食べることが好きな人であれば食卓をそして食事の時間をもっと豊かに改善するのは意外とたやすいことと思う。

美味しく楽しく食事をすれば食品の持っている栄養素はばっちりと効果を放つ。反対に場が暗く、ただむしゃむしゃと食べるだけ、まるで外でたまたま同席となった相手と食事をしているような風景であったなら、決して食べ物の持っている栄養価なんて生かされないだろうし、

食べ物にも申し訳ない気がする。

[衣」「食」、そして「住」、食も住も健康と直結していることだけに時代の波にはおしきられたくない。

人の手でつくられるもののぬくもり、あたたかさ、つくった人の顔が見える安心感、そういったことの大切さを住の世界にも向けてみたい。

若林礼子 (2008.9故人となりました。)
やっと出会えた本物の家より